かまくらとは

<横手のかまくら>

秋田県横手市では、雪を積み上げ中をくり抜いて作った雪室や、雪室へ水神様をまつる小正月行事を「かまくら」と呼んでいます。(参考:横手のかまくら

横手羽黒のかまくら

<六郷のカマクラ>

横手市から約15km北に位置する秋田県美郷町では「六郷のカマクラ」が2月11日~15日に行われます。ここでは蔵開き・天筆書初め・十二日市・鳥追い行事・天筆焼き・竹打ちと続く一連の行事が「カマクラ」と呼ばれています。小正月行事本来の姿を彷彿とさせるもので国の重要無形民俗文化財に指定されています。

六郷風にたなびく天筆

六郷鳥小屋

<金沢のとりごや>

横手市街地と美郷町の間に位置する金沢地区では「とりごや村」が開かれます。雪室は、雪の壁と木板などの天井を組合せたもので六郷の鳥小屋に似ています。

金沢地区とりごや村

かまくらの起源・由来

かまくらの起源・由来については諸説があります。民俗選書 Vol.20 『カマクラとボンデン』(発行:秋田文化出版社)の中で稲雄次氏は語源を元に次のようにまとめています。

カマド説

カマクラのカマは竃(かまど)のカマから発し、カマの座の意味で、カマドの火で正月の飾り物を焼く習俗とする。

鎌倉権五郎説

鎌倉権五郎を祀ったから、その名からつけられたことを由来とする。

鎌倉幕府説

鎌倉幕府を由来とし、それが樹立されたことを祝う行事であるとする。

水神様説

カマクラは水神様の祭典とするもの。

鳥追小屋説

カマクラは鳥追鎌倉や鎌倉の鳥追いから出たものとする。

カミクラ説

カマクラは神の座ます所の神座、神倉すなわちカミクラが転訛してカマクラとなったとする。

起源・由来が、生活用品から人名、政権、神事まで広がりをみせているのは、伝統行事の中に歴史が蓄積されてきたためでしょうか。

現在のかまくら

秋田県横手市のかまくらが現在のような行事になったのは明治30年以降で、内町の雪室(かまくら)を作ってどんど焼きをしていたものと外町の水神様を祭る行事が一緒になり、更に水神様を祀る行事が子供の行事となって現在の形になったものと言われています。

昭和に入りドイツの建築家ブルーノ・タウトが『日本美の再発見』の中で、かまくらの素朴で幻想的な情景を絶賛したこともあり、行事がますます盛んになるとともに観光で訪れる人が増えました。

その後、交通事情や生活様式の変化の影響を受け家々でのかまくら作りはほとんど消滅し、観光用に作られたモデルかまくらが中心となった観光行事・雪国イベントとしての色合いが濃くなっています。

かまくらの楽しみ方

「あがってたんせ~」と子供達に招き入れられたら、まずはかまくらの水神様にお参りしてください。お賽銭は気持ち程度で結構です。

子供達が甘酒やお餅をふるまってくれますので、ご馳走になりながら子供達との交流で雪国の情緒を楽しんでください。

横手のかまくら期間前後には、横手市内はもとより秋田県内でさまざまな小正月行事や雪まつり・関連イベントが集中しています。時間に余裕がある方は足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

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